がん検診・予防の体験文の紹介
平成17度 入賞作品
第1位 『娘とともに』 作者名 S・N(匿名希望)
それは、私が26歳になったばかりの時期にやってきた。妊娠し、長女を出産して、わずか3カ月だった。以前から気になっていた、右胸のしこりがズキズキと痛みだした。
子供を産んで間もないこともあって、乳腺炎の一種だと思い込みなかなか病院に行けずにいた。
初めての出産でとまどうことばかり、娘のことが第一で自分のことは後回しになっていた。娘は順調に育っていた。5カ月が過ぎた頃、右胸のしこりは大きくなり、夜も痛むようになった。
軽い気持ちで、1人で病院へ。外科外来で「乳ガン検診」と言われて「えっ」という感じ。マンモグラフィというおっぱいを板ではさんでレントゲンを撮り生検といってしこりに直接針をさして、
組織をとり検査をしてエコーもとった。かなり待たされて、最初に診察してくれた先生よりベテランぽい先生に代わって説明がなされた。「乳ガンです。」最初は頭が真っ白になって、
ボーッとしていた。詳しい説明になっていくにつれ、自分の事だと泣けてきた。
どうやって実家に帰ったのかも覚えていない。(自分で運転して帰っていた)実家で大泣きして、家族に伝えた。「死にたくないようお」と何度も言っていたらしい。
とにかく手術を早くしようと言われたことを伝えた。主人の両親が、他の病院でも診てもらおうと、乳ガンでも有名な先生にお願いして、次の日に診察してもらった。
またマンモグラフィ、エコー。もう嫌だった。やはり結果は同じだった。
娘はまだ5カ月で、1番かわいい時だった。私自身、まだ26歳なのに。と何度も否定したくなった。患部がかなり大きいこともあり、右胸を全摘することがショックでした。
小さい頃から健康で、入院するのも初めてのことでした。毎日、主人がお見舞いに来てくれた。娘のビデオもとってきてくれた。娘の姿を見ていると、「生きて、元気になって」というのが伝わってきた。
手術は成功したが、その後の右腕のリハビリや、傷の痛みはとてもつらかった。その後も放射線治療、抗ガン剤投与、ホルモン療法が待っていた。毎日、自分で運転し、放射線を患部にあてに通った。
お風呂で自分の姿を見るのが恐くて、娘とも一緒に入れなかった。抗ガン剤の点滴はとてもつらかった。体中が本当にダルく、重く、何をする気にもならなかった。赤血球が減少し、途中で中止した。
半年が過ぎ、普通の生活に戻ってきた。娘は1歳を過ぎ歩きはじめ、成長がすすむにつれ、私はとても救われた。毎日いろんなことができるようになっていく子供の命はすばらしいと思った。
娘のおかげで、病気のこともわかった。今を大切に生きていくことを、娘から教えてもらった。家族の愛情をすごく感じることができた。
今年3歳になった娘は保育園へ通いだした。私はとても元気に暮らしている。月に1回の通院で、ホルモン剤をもらい、注射も続いている。半年に1回の検査でCTや骨シンチ、血液検査をする。
その前後はやはり不安がおしよせる。でも、家族が心配してくれることがとてもありがたい。とても感謝している。温泉へ行く時も、家族風呂がある所を探してくれたり、本当に気遣ってくれる。
今では、娘と一緒にお風呂も入っている。「ママのおっぱいは病気で1つになっちゃったの?」と聞いてくる。「かわいそうね。私は2つあるよ」と言ってくれる。
これからも娘とともに大きくなりたい。胸を張って生きていきたい。再発という不安も少しはあるが、また乗り越えられる。私には、大切な家族があるから。
29歳の夏、自分がまだ体験したことがないことにチャレンジしたい。