がん検診・予防の体験文の紹介

平成18度 入賞作品

第1位 『がん検診での「がん見落とし」から得た教訓』  作者名 井田 稔

「晴天のへきれき・がく然・な落」の言葉を実感したのは1年半ほど前のことでした。
  ボウリングを好み、時間を見つけて施設に出かけ、私とは下手な卓球を楽しみに時々出かける等、元気そうだった妻が、昨年の1月、下腹部から出血したため、主治医の紹介で、病院の婦人科、内科で診察や一連の検査を受けてから入院しました。
  私と妻は市から知らされる健康診査を毎年受診し、胃がん検診では、他の医療機関の医師とのダブルチェックでの判定として、「異常なし」の説明に喜び、安心していました。
  胃の調子がよくない症状については、胃炎とか逆流性食道炎と主治医から診断されて、診断された薬を服用していましたので、「胃がんがかなり進行して子宮にも転移している」との思いもしなかった検査結果に、家族が動揺し、な落に落ちる思いでした。
  がんではないと思っている妻に、どう対応するか、長男や長女たちと話し合いました。
  長女は母の動揺を心配し、病名を伏せたい意向でしたが、私は妻の性格からしても、真実を伝えて、厳しい闘病生活にも望みを抱き、家族で支え合い、天寿に任せたい願いを話すと、迷いの時間はありましたが、合意しました。
  末期のため手術ができず、抗がん剤で対処することになりましたが、副作用が激しく、体中にひどいかゆみが走り、じんましん状に赤くはれ、気持ちの悪さ、下痢、だるさが襲い、暑さや寒さを感じる等の症状が出たため主治医が抗がん剤を代えられても、 好転しない状態でしたので、3週間ほどで中断せざるを得なくなり、延命の望みが消えました。
  がんの痛みを和らげるオプソはモルヒネに代わり、連日の投与で幻覚の症状も生じて、人が変わったようになったのも悲しい現実でした。内臓の機能も落ちて足がむくみ、腹部が膨らんで動きがとれず、4月末から1カ月間に腹水穿刺を3回行う等の苦痛にあえぎ、 入院5カ月、65年の生涯を終えました。
  妻の入院2カ月後、釈然としないがん検診判定に悩んだ末、健康診査担当の課を訪れ、「異常なし」の判定が正しかったかどうか、調べていただくようお願いしました。
  2つの医療機関が平成14・15・16年の写真の読影をして下さり、「胃がんかどうか判断することが難しい。」「検診の段階で、百%チェックすることが可能であったかどうかは難しい。」等の見解をいただき、いかに、読影することが難しいかを思い知りました。
  読影の難しさに先が見づらくなった10月、医師会からこの道で高い技能をもたれる医師を紹介していただき、平成12年から5年間の写真を読影して下さることになりました。
  適切な写真を撮る撮影法、読む側の力量の問題等に触れられてから、12年から所見があり病原が垣間見えている状況から、3、4年後の進行がんに至る状況を写真と照合しながら、私と長男に解説して下さいました。
  「妻と医師との長い信頼関係がないと、こんなことは起こらないと思う」の言葉には、心が痛みました。妻は長い教員生活の中で、子どもを信じ、保護者、そして周囲の方々を信頼してきました。セカンドオピニオン等を医師への背信行為とさえ思う性格でした。
  妻の死を受け入れるのに要した1年間に、不幸に陥る要因が患者側にもあることに気づきました。病気についての知識や情報を積極的に得る努力が足らず、医師の言葉を吟味しないで医師任せにしたこと。がん検診で百%病気を発見可能と思いこんでいたこと。 勇気を出してセカンドオピニオンを求めなかった等の自己責任の部分を感じています。
  この反省は健康管理の教訓になりました。検診と日常診療の位置づけも悟りました。医師会では、妻の事例もあげて、胃がんの写真読影の研修がされたと聞きました。
  今は、検診医師と受診者双方の努力で、妻の事例が生かされ、「がん見落とし」の不幸がなくなることを願っています。